Latifundia's blog

キモ=オタクの荒唐無稽な戯言

共産党宣言

(この文章は青空文庫堺利彦幸徳秋水訳 共産黨宣言 カール・マルクス フリードリヒ・エンゲルス』の旧字体新字体に変換したものです。)

 

カール・マルクス フリードリヒ・エンゲルス

堺利彦 幸徳秋水

 


日本訳の序

 


 この日本訳は、最初、第三章を除いて、週刊『平民新聞』第五十三号(明治三十七年十一月十三日発行)に載せられたところ、忽ち秩序壊乱として起訴され、裁判の結果、関係者はそれぞれ罰金に処せられた。しかしその裁判の判決文には、『古の文書はいかにその記載事項が不穏の文字なりとするも、……単に歴史上の事実とし、または学術研究の資料として新聞雑誌に掲載するは、……社会の秩序を壊乱するといふ能はざるのみならず、むしろ正当なる行為といふべし』とあつた。そこで私は次にその訳文に多少の修正を加へ、および第三章を訳し添へて、今度は『単に歴史上の事実』として、また『学術研究の資料』として、『社会主義研究』第一号(明治三十九年三月十五日発行)に載せた。(その時には、前の共訳者幸徳はアメリカに行つてゐたので、第三章は私ひとりで訳した。)

 しかるに、その『社会主義研究』も程へて後(大逆事件当時)発売を禁止され、その後今日に至るまで、『共産党宣言』日本訳の公刊は不可能の状態になつてゐるが、いかに日本が野蛮国で、いかに保守的反動が強いにしても、もう遠からずして、言論自由の範囲が、せめて明治三十九年当時くらゐに復旧する時節は来るだらうと思はれる。その時には、私はぜひともこの『学術研究の資料』を出来るだけ早く世に出したいと思つてゐる。ところが、近ごろその古い訳文を読み返してみると、第一、文体の古くさいことが厭で堪らない。それにあの時は、単にイギリス訳から重訳したのでもあり、また訳し方の拙いところや、不正確なところや、間違つたところも大ぶんある。そこで私は今度、その古い訳文をドイツ語の原文と引合せ、また部分的には河上肇氏および櫛田民蔵氏の訳文をも参照し、出来るだけ精密に訂正を加へて、口語体に書き直すことにした。幸徳が生きてゐたら何といふか知らんが、私はやはりこの新訳に彼と二人の名を署しておく。

 ドイツ語の新版には、一八七二年のマルクスエンゲルスの序文のほか、一八八三年のと一八九〇年のと、エンゲルスの序文が二つ載つてゐる。しかしその内容は次に記したイギリス訳の序に尽されてゐる。

大正十年五月

堺利彦

 


(日本では、その後、この私の訳文が何人かの手により、秘密出版として数回発行された。また昨年、大田黒年男氏らの手によつて、『共産党宣言』と題する四百ページの大冊が発行され、禁止にはなつたが、それ以前、少からぬ部数が頒布された。この大冊には『宣言』の本文のほか、リヤザノフの『共産主義者同盟』の歴史と、同じくリヤザノフの、二百ページ以上にわたる『評注』と、エンゲルスの『共産主義の原理』――実は『宣言』の草案――等が附録されてゐる。一九三〇年七月追記。堺)

 


イギリス訳の序

 


 この『宣言』は、『共産主義同盟』の綱領として発表されたものである。『同盟』は労働者の団体で、初めはドイツ人に限られ、後、国際的となり、一八四八年以前のヨーロッパ大陸の政治状態の下において、やむなく秘密結社であつた。一八四七年十一月、ロンドンに開かれた『同盟』の大会において、理論上および実践上の、完備した綱領を発表するため、マルクスエンゲルスとが起草委員に選ばれた。一八四八年一月、その草稿はまづドイツ文で起草され、二月二十四日のフランス革命の数週前、ロンドンの活版所に送られた。そして一八四八年六月の一揆のすぐ前に、そのフランス訳がパリにあらはれ、一八五〇年、ヘレン・マクファーレン嬢の手になつた第一英訳が、ロンドンの雑誌『レッド・レパブリカン』に現はれた。オランダ訳とポーランド訳もまた次いで刊行された。

 プロレタリヤとブルジョアとの最初の大合戦たる、一八四八年六月のパリ一揆が敗北した時、ヨーロッパ労働階級の社会的および政治的活動は、また暫く後方に押しこまれてしまつた。その後、権勢の争奪は、二月革命以前とおなじく、また有産階級の諸党派の間にのみ行はれ、労働階級は僅かに政治的自由のために戦ふこととなり、中流階級急進派の左翼たる地位に引下げられた。そして独立のプロレタリヤ運動がなほ多少の生気を示してゐるところでは、容赦もなく叩き伏せられてしまつた。かくてプロシャの警察は、当時ケルンにおかれてあつた『共産主義同盟』の本部を捜し出した。それで、本部員はみな捕縛され、十八箇月の監禁の後、一八五二年十月、初めて公判に付された。この有名な『ケルン共産党裁判』は十月四日から十一月十二日まで継続し、被告のうち、七名は三年から六年まで、それぞれの刑期をもつてある要塞に禁錮する旨を宣告された。この宣告の後まもなく、『同盟』は残余の党員によつて形式的に解散された。従つて『宣言』もそれきり埋没されたもののごとくであつた。

 ヨーロッパの労働階級が、更にその権力階級に向つて一撃を加ふべき十分の鋭気を回復した時、かの『国際労働者同盟インタナショナル』が勃興した。けれどもこの『同盟』は、もつぱら欧米全体の戦鬪的プロレタリヤを打つて一丸とする目的であつたので、『共産党宣言』に掲げられた趣旨をとつて、直ちにそれを標榜するわけには行かなかつた。すなはちこの同盟は、イギリスの労働組合、フランス、ベルギー、イタリー、スペインにおけるプルードン派、およびドイツにおけるラサール派(1)に容認さるべき、漠然たる綱領をもつものでなければならなかつた。マルクスはその綱領を起草して右の諸党派に満足を与へたが、彼としては全く、この協同の運動と、相互の討究とから必ず生ずべきはずであるところの、労働階級の智力的発展に信頼してゐたのであつた。資本に対する戦鬪の事実、およびその戦況の変遷は、殊に敗戦の場合においては勝利の場合よりも甚だしく、種々なる家伝秘法の不十分が感知され、従つてまた、労働階級解放の真正の条件について、一そう深奥なる見解に到達させないではおかないはずである。マルクスの見るところはまさに当つてゐた。一八七四年、『インタナショナル』が解散した時、それを創立当時の一八六四年に比べると、労働者はまるで別人のやうになつてゐた。フランスのプルードン派、ドイツのラサール派はみな既に死滅に瀕し、保守的なイギリスの労働組合も(その大部分は疾くにインタナショナルと分離してはゐたが)、なほよく漸次にその歩みを進め、去年スワンシーでその会長が、組合の名において、『大陸の社会主義ももはや我々に恐怖を感ぜしめぬ』といつたほどになつて来た。すなはち実際上、『宣言』の趣旨は著るしく各国労働者の間に侵入してゐたのであつた。

 


(1)ラサールは個人として我々に対する時には、常にマルクスの弟子たることを承認し、従つてまた、『宣言』の論拠の上に立つてゐた。しかし一八六〇年から六四年までの公の運動においては、彼は、国家の保護を受ける組合工場の要求以上に進まなかつた。

 


 かくて『宣言』そのものも再び表面に現はれた。ドイツの原文は一八五〇年以後、スヰス、イギリス、およびアメリカで幾度も翻刻され、一八七二年にはニューヨークで英文に訳されて、『ウードハル・エンド・クラフリン週報』に掲載され、そのイギリス訳からして同地の仏文雑誌『社会主義者』にフランス訳が現はれた。その後アメリカで発表された英文の抄訳が少くとも二種あつて、しかもその一種はイギリスで再版された。また、第一のロシヤ訳はバクーニンの手になり、一八六三年頃、ジェネバなるヘルチェンの雑誌『コロコロ』の発行所から出版され、第二は女丈夫ウエラ・サスリッチの手になり(2)、一八八二年、同じくジェネバで出版された。また一八八五年、コペンハーゲン発行の『社会民主主義文庫』の中に、一つの新しいデンマーク訳がある。一八八六年、パリの『社会主義者』にまた一つ新しいフランス訳が出た。そのフランス訳からしてスペイン訳がつくられ、一八八六年マドリッドで出版された。ドイツにおける翻刻は数へきれないほどで、少くとも十二種はあつた。アルメニヤ訳は数月前、コンスタンチノープルで出版されるはずであつたが、発行者はマルクスの名を冠した書籍を出すことを恐れ、訳者はまたそれを自分の著述とすることを拒んだので、たうとう世に出ることが出来なかつたといふ。以上のほか、更に他の国語に訳されたものもあると聞いてゐるが、私はまだ見たことがない。かくてこの『宣言』の歴史は、大体において、近世労働運動の歴史を反映してゐる。そして今日においては、この『宣言』こそ疑ひもなく、あらゆる社会主義の文書中、最も広く世に行はれた、最も国際的な産物であつて、シベリヤからカリフォルニヤまでの幾百万の労働者によつて承認された共通の綱領である。

 


(2)ウエラ・サスリッチ云々はエンゲルスの間違ひで、実はプレハーノフによつてロシヤ文に翻訳されたのである。

 


 しかるにこの『宣言』の起草された時、我々はこれを『社会党宣言』と呼ぶことが出来なかつた。一八四七年の当時では、社会主義者といへば、一方において種々なる空想的諸制度の信者、すなはちイギリスのオーエン派、フランスのフーリエー派などを意味し、その両派とも既に単なる『おかたまり』の地位に下り、次第に死滅に瀕してゐた。また一方において、社会主義者といふ名は種々雑多なエセ改良家を意味し、その連中はあらゆる切張りの術を説いて、資本と利潤とには何らの危害をも加へないで、よく社会一切の害悪を除去すると称してゐた。そしてこの両者とも、労働階級以外の運動であつて、むしろいはゆる教育ある人士に向つてその支持を求めてゐた。これらの間に立つて、単純な政治革命の無力を悟り、社会の根本的変革の必要を宣言したものが、労働階級中のどれだけの部分であつたかは分らないが、その部分だけは自ら共産主義者と称してゐた。それはもとより粗雑な、荒削りの、純然たる本能的共産主義ではあつたが、それでもその主張はよく急所に当つて、労働階級の間に有力となり、フランスのカベー、ドイツのワイトリングのやうな、空想的共産主義を産出してゐた。そこで一八四七年においては、社会主義中流階級の運動であり、共産主義は労働階級の運動であつた。また少くとも大陸においては、社会主義は『品のよいもの』であり、共産主義は全くそれに反してゐた。そして我々の意見は最初から、『労働階級の解放は、労働階級自身の行動でなければならぬ』といふのであつたから、この二つの名称のいづれを選ぶべきかについて、疑ひの起るはずがなかつた。それに我々は、その後といへども、かつてこの名を排斥したことはないのである。

 この『宣言』は二人の合作であるけれども、その核子を形成する根本の提案が、マルクスに属することを明言する義務があると私は思ふ。すなはちその提案とは、歴史の各時代において、経済上、生産および交換の慣行方式があり、また必然にそれから生じてくる社会組織があり、その時代の政治および文明の歴史はこの基礎の上に建設され、またこの基礎によつてのみ説明されるといふこと。故に人類の全歴史は(土地を共有してゐた原始的氏族社会が消滅した以後)階級鬪争の歴史であり、搾取者と被搾取者、圧伏階級と被圧伏階級の対抗の歴史であること。そしてこれらの階級鬪争の歴史が進化の諸段階を形成し、それが今日ではまた一つの新しい段階に到達し、この段階では、被搾取被圧伏の階級(すなはちプロレタリヤ)が、搾取圧伏の階級(すなはちブルジョア)の権勢から解放されようとするには、それと同時に、今後永久に一切の搾取、圧伏、階級差別、および階級鬪争から、社会全体を解放するよりほかに道がないといふこと、である。

 私の見るところでは、この提案は、ちやうどダーヰンの進化説が生物学に与へたと同様の効果を、史学のうへに与ふべきもので、マルクスと私と二人ともに、一八四五年以前において、漸次それに近づきつつあつたのである。最初、私がひとり、いかなる程度までそれに向つて進んでゐたかは、私の著『一八四四年における英国労働階級の状態』において、最もよく見ることが出来る。しかるに一八四五年の春、私が再びブリュッセルマルクスと会つた時、彼は既にそれを完成して、殆んど私が今ここに記してゐるやうな明晰な字句で、それを私に提示したのであつた。

 私はここに、一八七二年のドイツ版に付した我々の合作の序文の中から、左の一節を引用する。

『最近二十五年間において、社会の状態は大いに変化してゐるけれども、この「宣言」の中に開陳されてある根本の趣旨は、大体において今もなほ正確である。細目には所々訂正すべき点もあるだらう。またこの趣旨の実際の適用は、「宣言」中にもいつてあるとほり、すべての処、すべての時において、その現存せる歴史的状態によつて決せらるべきものであるから、第二章の終りに提出されてゐる革命的諸政策には、必ずしも重きをおくに足りない。あの一段は、多くの点において、今日ならばずつと違つた文句で書き現はされるであらう。一八四八年以後における近世産業の長足の進歩、およびそれに伴つて進歩し拡大した労働階級の団結から見る時、また第一にはフランスの二月革命における実際の経験、第二にはプロレタリヤが初めて二箇月間、政権を握つたパリ・コンミュンの一層よい経験から見る時、この「宣言」中の綱領は、ある細目において既に廃物に帰してゐる。特にパリ・コンミュンによつて立証された一事がある。すなはち「労働階級は単に出来合ひの国家機関を握つて、それを自分の目的に使用することは出来ない」(「フランスにおける内乱」を参照。それにはこの点が一そう敷衍されてゐる)といふことである。またこの「宣言」の、社会主義文書に対する批評は、一八四七年以前に限られてゐるのだから、現時に関して多くの欠点があることは自明である。また共産主義者と種々の反対党との関係についての評語(第四章)は、その趣旨はやはり正確であるけれども、実際の適用上には既に廃物になつてゐる。今では政治界の形勢が全く変化し、歴史の進歩が、あそこに数へあげてある諸政党の大部分を、地上から一掃してゐるからである。

 しかしこの「宣言」は、今ではもう歴史的文書になつてゐるので、我々はもはやそれに変更を加へる権利がない。』

 このイギリス訳は、マルクスの『資本論』の大部分を訳したサミュエル・ムーア氏の手になり、氏と私と一緒に校訂をなし、私は更に、歴史的用語を説明する二三の註釈をつけ加へた。

 


一八八八年一月三十日、ロンドンにて

フリードリヒ・エンゲルス

 

 

 

共産党宣言      (堺利彦 幸徳秋水)共訳

 

 

 

 一個の怪物がヨーロッパを徘徊してゐる。すなはち共産主義の怪物である。古いヨーロッパのあらゆる権力は、この怪物を退治するために、神聖同盟を結んでゐる。ローマ法皇もツァールも、メッテルニヒもギゾウも、フランスの急進党もドイツの探偵も。

〔訳者註〕メッテルニヒオーストリーの宰相、ギゾウはフランスの首相。

 見よ。在野の政党で、在朝の政敵から、共産主義的だといつて誹毀されないものがあるか。また見よ、在野の政党で、他の一そう急進的な反対諸党派に対して、ならびにその保守的な政敵に対して、共産主義の焼印をつけた詰責を投げ返さないものがあるか。

 この事実から二つのことがわかる。

 共産主義はあらゆるヨーロッパの権力者から、既に一個の勢力として認識されてゐること。

 共産主義者が全世界の面前にその見解、その目的、その傾向を公然と表示し、党自身の宣言をもつて、共産主義の怪物のお伽噺と対抗すべき時機が熟してゐること。

 この目的のために、諸国の共産主義者がロンドンに集まつて、次の宣言を起草した。そしてそれをイギリス語、フランス語、ドイツ語、イタリー語、フレミッシュ語、およびデンマーク語で公表することにした。

 


第一章 ブルジョアとプロレタリヤ(1)

 


 在来一切の社会の歴史は、階級鬪争の歴史である(2)。

 自由民と奴隷、貴族と平民、領主と農奴、ギルド(同業組合)の親方(3)と徒弟職人、一言にすれば圧伏者と被圧伏者とが、古来常に相対立して、或ひは公然の、或ひは隠然の鬪争を継続してゐた。そしてその鬪争はいつでも、社会全体の革命的改造に終るか、或ひは交戦せる両階級の共仆れに終るのであつた。

(1)ブルジョアとは、近世資本家の階級、社会的生産の諸機関(あるひは諸手段)の所有者、および賃銀労働の雇用者を意味する。プロレタリヤとは、自分で生産機関(あるひは生産手段)をもつてゐないので、生活のためには自分の労働力を売るほかはない近世賃銀労働者を意味する。

〔訳者註〕ブルジョアは初め我々によつて『紳士』と訳され、ブルジョアジーは『紳士閥』と訳された。そして、プロレタリヤは初め『平民』あるひは『平民労働者』と訳された。

(2)精密にいへば、記録された歴史である。一八四七年には、有史以前に存在した社会組織は殆んど全く知られてゐなかつた。その後、ハクスタウゼンはロシヤにおける土地共有制を発見し、マウレルはすべてのチュートン人種が歴史に入るまへ、土地共有を社会の基礎としてゐたことを論証し、それから次第に、村落共産制がインドからアイルランドまで到る処において、社会の原始的形態であること、もしくはあつたことが分かつて来た。そしてこの原始的共産社会の内部組織は、氏の真性質、および氏と種族との関係についての、モルガンの完成的大発見によつて、初めて標本的の形態で明示された。この原始的共産制の解体とともに、社会はべつべつの、そして遂には相反目する諸階級に分れはじめたのである。

〔訳者註〕モルガン著『古代社会』およびエンゲルス著『家族・私有財産および国家の起源』を見よ。

(3)ギルドの親方とは、正式の組合員たる職人のことで、組合の頭ではない。

 上古の諸時代にあつては、殆んど到る処に、社会を種々な等級に分けた複雑な排列法、社会的地位の種々雑多な区分が行はれてゐるのを見る。すなはちローマの古代には、貴族、騎士、平民、奴隷があり、中世には、領主、家来、親方、徒弟、農奴がある。そしてなほその諸階級の殆んどすべてに、またそれぞれの小区分がある。

 封建社会の滅亡から発生した近世のブルジョア社会も、階級対立を除去してはゐない。ただ新しい階級をつくり、新しい圧伏条件をつくり、新しい鬪争形式をつくつて、昔のに代へただけである。

 けれども、我々の時代、すなはちブルジョアの時代は、この階級対立を単純化したといふ特徴をもつてゐる。全社会は次第々々に、相敵視する二大陣営、直接相互に対立する二大階級に分裂しつつある。すなはちブルジョアとプロレタリヤである。

 そもそも中世の農奴の中から、最初の都市における特許市民(あるひは廓外市民)が出て来てゐる。そしてその特許市民の中から、ブルジョアジーの最初の要素が発達してゐる。

 アメリカの発見、喜望峰の廻航は、この新興のブルジョアのために新しい地盤をつくり出した。東インドおよび支那の市場、アメリカの植民、植民地との貿易、交換手段および商品の増加は、商業に、航海に、工業に、空前の刺戟を与へ、それによつて、既に崩壊しかけてゐた封建社会内の革命要素に急激な発達を起させた。

 そこで従来の、封建的もしくはギルド的の工業経営法は、もはや新市場とともに増大するところの需要に応ずることが出来なくなつた。工場的手工業がそれに代つて起つて来た。ギルドの親方は工場手工業的中産階級のために押しのけられた。種々なる組合と組合との間の分業は、単一なる工場内の分業の前に消滅した。

 しかるに市場はいよいよ拡大し、需要はいよいよ増加した。工場的手工業ももはやそれに応ずることが出来なくなつた。そこで蒸気と大機械が工業生産を革命した。工場的手工業の代りに近代的大産業が起り、工場手工業的中産階級の代りに産業的大富豪、全産業軍の首長、すなはち近代的ブルジョアが起つた。

 この近代産業が世界市場を建設した。アメリカの発見は既にその準備をしてゐたのである。この世界市場は商業に、航海に、陸上の交通に、絶大の発達をなさしめ、その発達がまた、産業の拡大に逆影響を及ぼし、つまり工業、商業、航海、鉄道の拡大するその同じ度合ひにおいて、ブルジョアジーが発達し、その資本が増加し、中世から残存してゐるすべての階級を後ろの方に押しやつてしまつた。

 かくて我々は、近代的ブルジョアジーが、長い発達行程の産物であり、また、生産および交換方法におけるいくた連続せる諸変革の産物であることを知る。

 このブルジョアジー発達の各段階は、またそれに相応する政治的進歩を伴つてゐた。すなはち初めは封建的領主の支配下に抑圧された一階級であり、また武装した自治団体のコンミュン(4)であり、あるところでは(イタリーおよびドイツにおけるごとく)独立の都市共和制となり、あるところでは(フランスにおけるごとく)王政治下の第三階級(租税負担階級)となり、次に工場的手工業の時代にあつては、半封建的もしくは専制的王国内における貴族との均衡物となり、また一般大王国の主要なる地盤となり、最後には、大産業および世界市場の発現以後、近世的代議制国家において、全くその掌中に政権を把握した。近世国家の政府なるものは、ブルジョア階級全体のためにその共同事務を処理する委員会に過ぎない。

 


(4)イタリーおよびフランスの都市の住民は、その都市的共同組織をコンミュンと呼んでゐた。そしてそれによつて、封建領主から最初の自治権を買ひ取り、もしくは捩ぢ取つた。

 コンミュンとは、フランスの都市がその発生時代からもつてゐる名称で、彼らが第三階級として封建領主から、地方自治制と参政権とを獲得したその以前、既にこの名称があつた。大体上ここでは、ブルジョアの経済的発達にはイギリスを標本国とし、その政治的発達にはフランスを標本国としてゐる。

 


 ブルジョアジーは歴史上において、最も革命的な任務を果たしたものである。

 ブルジョアジーが政権を握つたところでは、すべての封建的、主従的、牧歌的なる諸関係が破壊された。(従来)人を、その生れながらの目上と結びつけてゐた封建的の色糸は、無残に引きちぎられて、人と人とを結びつけるものは、ただ赤裸々の利益、冷酷な現金勘定よりほかには何ものもないことになつた。宗教的の熱情や、武士的の感激や、町家的の人情などいふ神聖な渇仰心は、氷のやうに冷たい主我的な打算の中に溺らされてしまつた。個々の人物の値打ちは交換価値の中に消え去り、永く確保された無数の特許的自由の代りに、ただ一つの無茶な商業的自由が設定された。これを一言にすれば、ブルジョアジーは、宗教的および政治的の幻影をもつて覆はれた搾取の代りに、公然たる、恥知らずの、直接な露骨な搾取を設定したのである。

 ブルジョアジーは、従来名誉と尊敬とを博してゐたすべての職業から、その後光を剥ぎ去つてしまつた。医師も、法律家も、僧侶も、詩人も、学者も、みな彼らに雇はれる賃銀労働者に変化されてしまつた。

 ブルジョアジーは、家族関係からそのしほらしいセンチメンタルなヴェールを破り取つて、純然たる一個の金銭関係に引き戻してしまつた。

 ブルジョアジーは、保守主義者がいたく感嘆してゐる、あの中世時代の蛮勇的行動が、懶惰を極めた安逸生活といかに似合ひの相棒であるかを明示した。それは実に初めて、人間の活動がどこまでのことをなしとげうるかを示したものである。すなはち実にエジプトのピラミットや、ローマの水道や、ゴチックの堂塔にも優る大工事を起し、また昔の民族移住や十字軍を凌駕する大遠征を決行したものである。

 ブルジョアジーは、生産機関を、従つて生産関係を、従つてまた一般の社会関係を、絶えず革命することなしには存在することが出来ない。これに反し、古い生産方法を何らの変化なく保存することが、前代におけるすべての工業階級の第一の生存条件である。故に、生産の絶えざる革命、あらゆる社会状態の不断の動揺、永久の不安と擾乱、それがすなはちブルジョア時代がすべての前代と異なる特徴である。すべての確立し凝固した諸関係は、それに伴ふ大切な旧説古伝とともに一掃せられ、すべての新式の事物も、それがまだ固定せぬ前に廃物となつてしまふ。堅牢なものは悉く気化し、神聖なものは悉く褻涜され、そして人間は遂に自分の生活状態と、自分と同類との関係を、冷静な目で見つめるよりほかはないことになる。

 ブルジョアジーは、その生産物のために絶えず市場を拡大する必要があるので、地球表面の全部に追ひやられる。それは到る処に巣をつくり、到る処に住みつき、到る処に因縁を結ばねばならぬ。

 ブルジョアジーは、世界市場の搾取によつて、各国各地の生産および消費にコスモポリタン的性質を附与した。産業の足のしたから国家的地盤を引き抜いて、保守主義者の大なる悲嘆を招いた。古来の国家的産業は既に破壊され、なほ日々破壊されつつある。そしてそれに代る新産業を輸入することは、すべての文明国にとつて生死の問題であり、またその新産業は、もはや内国の原料でなく、最も遠隔した諸地方からの原料に加工し、またその生産物は内国ばかりでなく、世界のあらゆる方面で消費される。昔の、内国産によつて充足された需要の代りに、今は最遠隔の国土の産物でなければ充足されない、新しい需要が生じてゐる。昔の、地方的国家的の自足と閉居との代りに、今は諸国民相互の間における、各方面の交通、各方面の依頼が生じてゐる。そして精神的生産もやはりこの物資生産と同じである。個々の国民の精神的作物は、世界共通の所有となる。国民的の偏執と僻見とは、次第々々に不可能となる。そして多数の国民的、地方的の文学の間から、一個の世界的文学が起る。

 ブルジョアジーは、すべての生産機関を急速に改善することによつて、また交通機関を絶えず進歩させることによつて、すべての国民を(野蛮国民をすらも)文明に引き入れる。彼らはその商品の廉価を重砲として、あらゆる支那の城壁をも撃破した。彼らはまたそれによつて、頑固に外人を憎悪する野蛮人をも降伏させた。すべての国民は、もし滅亡を欲しないならば、ブルジョアジーの生産方法を採用することを余儀なくされる。いはゆる文明を自国に輸入すること、すなはち自らブルジョアとなることを余儀なくされる。これを一言にすれば、ブルジョアジーは自分の影像に従つて世界をつくるものである。

 ブルジョアジーは、地方を都会の支配下に屈せしめた。彼らは都会の人口を、農村に比べて著るしく増加させた。そして全人口の多大な部分を、農村生活の愚昧から奪ひ去つた。彼らは農村を都会に屈せしめたと同じく、野蛮国および半野蛮国を文明国に、農業国民をブルジョア国民に、東洋を西洋に従属させた。

 ブルジョアジーは、いよいよますます、生産機関(生産手段)の、財産の、および人口の散在を抑止した。人口は集団され、生産機関は集中され、そして財産は少数者の手に集積された。それの必然な結果は、政治上の中央集権であつた。べつべつの利害、法律、政府、税制をもつてゐた独立の諸地方、殆んど単なる聯合に過ぎなかつた諸地方が、一個の国民、一個の政府、一個の法律、一個の全国的階級利益、一個の関税区域に押し堅められてしまつた。

 ブルジョアジーは、僅かに百年ばかりの階級的支配の中に、過去一切の諸時代を合したよりも、一そう多量な、一そう巨大な生産力をつくり出した。自然力の征服、大機械、工業および農業における化学の応用、汽船、鉄道、電信、全世界各地の開墾、河川航路の開鑿、呪文をもつて地下から呼び起したやうな全人口の増殖、――およそこれほどの生産力が社会的労働の胎内に眠つてゐたとは、いかなる前時代にもかつてその徴候がなかつたではないか。

 かくて我々は知る。ブルジョアジーの成長の基礎であつたところの、生産および交換機関は、既に封建社会のうちにつくられてゐたのである。この生産および交換機関の発達のある段階において、封建社会が生産し交換したその諸関係、すなはち農業および工業の封建的組織、これを一言にすれば、封建的財産関係が、既に発達した生産力と、もはや適合しないことになつたのである。彼らは生産を促進しないで、それを妨害することになつた。彼らはまさにいくたの邪魔物になつた。彼らは爆破されねばならないのであつた。そして爆破された。

 彼らの代りに現はれたものは自由競争であつた。それと同時に、それに適合する社会的および政治的の組織も起つて来た。ブルジョア階級の経済的および政治的支配も起つて来た。

 これと同様な運動がいま我々の眼前にも行はれてゐる。この偉大な生産および交換機関を呼び出したところの、ブルジョア的の生産および交換関係、すなはちブルジョア的の財産関係、すなはち近代のブルジョア社会は、恰かもあの魔術師が、呪文を唱へて地の底からさまざまの魔物を呼び出しながら、今は既にそれを制御する力を失つたのに似てゐる。この数十年来の工業および商業の歴史は、近代の生産力が、近代の生産関係に対し、ブルジョアジーとその支配との生存条件たる財産関係に対し、叛逆した歴史に過ぎない。その証拠としては、かの商業恐慌が、一定の期間を隔ててその襲来を繰返し、その一回ごとにますます甚だしくブルジョア社会の全体の存在を脅威してゐる事実を挙げれば足りる。この商業恐慌の際には、現存の生産物の大部分が定期的に破壊されるばかりでなく、その以前につくられた生産力の大部分もまた同じである。またこの恐慌に際しては、過去のあらゆる時代ならばいかにも不道理と思はれるはずの、一種の社会的流行病、すなはち生産過剰といふ流行病が発生する。そのとき、社会は突如として、一時的の野蛮状態に返つたやうに見える。饑饉が起り、大破壊が起つて、社会一切の生活資料を杜絶したかのやうに見える。工業も商業も悉く破壊されたやうに見える。それは何故か。ほかでもない、社会があまり多くの文明、あまり多くの生活資料、あまり多くの工業、あまり多くの商業をもつたからである。社会の用を務むべき生産力は、もはやブルジョアの財産関係を促進させる役には立たない。否、かへつてその財産関係に対してあまりに有力となり、その財産関係のために妨害を蒙ることになる。そこで生産力がその妨害を突破するたびごとに、ブルジョア社会の全部を無秩序に陥れ、ブルジョア財産の存在を危くするのである。ブルジョアの諸関係は、自分のつくり出した富を包容するのに、あまり狭隘になつて来たのである。しからばブルジョアジーは何によつてこの恐慌を切り抜けるか。一面には生産力の大額を強圧的に破壊し、一面には新市場を征服し、および旧市場の搾取を一そう根本的にやる。さうしてどうなるか。それはすなはち、一そう広大な、一そう猛烈な恐慌を準備し、恐慌を防遏する手段方法を極度に減少することになる。

 ブルジョアジー封建制度を顛覆したその武器が、今はブルジョアジー自身に向けられてゐる。

 ただしブルジョアジーは、自分を殺すべき武器を鋳造したばかりでなく、またその武器を使用すべき人物をつくりだした。すなはち近代の労働者、プロレタリヤがそれである。

 かくてブルジョアジー(すなはち資本)が発達すればするほど、その同じ比例をもつて、近代労働者の階級(すなはちプロレタリヤ階級)が発達した。このプロレタリヤは、仕事を見つけた間だけ生活することが出来、またその労働が資本を増大する間だけ仕事をもつことが出来る。彼らは自分の身を切売りにするよりほかないもので、他のあらゆる商品と同じく一個の商品である。従つて競争上の諸変化と、市場内の諸変動とに曝されるものである。

 プロレタリヤの労働は、機械使用の増大と分業とのために、全くその個人的性質を失ひ、従つてまた労働者の興味を失つた。すなはちプロレタリヤは単なる機械の附属物となり、その機械に対して彼の要求されるところは、ただ最も単純な、最も単調な、最も容易に習得される手業である。従つてその労働者を産出する費用は、ただ僅かにその一身を維持し、およびその種を蕃殖させるに必要なだけの生活資料に制限される。しかるに商品の価格は、従つて労働の価格も、その生産費と等しいものである。そこで労働の没趣味が増加すればするほど、それと同じ程度において賃銀は減少する。それにまた、機械の使用と分業とが増大すればするほど、或ひは労働時間の延長により、或ひは一定の時間内に要求される労働の増加により、或ひはまた、機械の運転力の増加等により、その同じ程度において労働の総量が増大する。

 近世産業は、族長的な親方の下にあつた小さな職場を、工業資本家の大工場に変更したものである。その工場に詰めこまれる労働者の群は、軍隊的に編成されてゐる。彼らは産業軍の兵卒として、多数の士官、下士官などを有する完全な統御組織の下におかれてゐる。彼らはブルジョア階級、ブルジョア国家の奴隷であるばかりでなく、機械のために、監督者のために、殊にはその製造家たるブルジョア個人のために、日々刻々、奴隷として使役されてゐる。そしてその専制政治の目的が単に営利であることが明示されればされるほど、その賤しむべく、厭ふべく、憎むべきことが甚だしさを加へて来る。

 手の労働が熟練と力とを要することが少くなるに従つて、すなはち近世産業がいよいよ発達するに従つて、男子の労働が女子と小児の労働にとつて代られる。性の差異と年齢の差異とは、労働階級にとつては、もはや何らの社会的価値をもつてゐない。彼らはみな等しく労働器具であつて、ただその年齢と性とにより、使用上に費用の多少を生ずるだけである。

 労働者が、既に製造家から搾取されて、その労働賃銀を受取ると、今度はブルジョアジーの他の部分、すなはち家主、小売商人、質屋などが彼に襲ひかかる。

 従来の中産階級の下層、すなはち小さい工業者、小商人、および小金持、職人と農夫、すべてこれらの諸階級は漸次プロレタリヤに陥る。その原因の一半は、彼らの小資本が大産業の経営に引き足りないで、より大なる資本家との競争に負けるからであり、また他の一半は、彼らの専門技術が新しい生産方法に対して無効になるからである。かくてプロレタリヤは国民のあらゆる方面から徴募されてゐる。

 プロレタリアートは種々な発達の段階を経過する。彼らのブルジョアジーに対する戦ひは、その存在とともに始まる。最初は個々の労働者が、次には一工場内の労働者が、次には一地方における一労働部門の労働者が、直接に彼らを搾取する個々のブルジョアに対して戦ふ。彼らはまだブルジョアの生産関係に対して攻撃を向けるのでなく、生産器具そのものに対して攻撃を向ける。すなはち彼らは外国の競争品を破壊し、機械を叩きこはし、工場を焼き払ふ。彼らは既に亡びた中世労働者の地位を取り戻さうとする。

 この段階にあつては、労働者はまだ全国に散在して、競争のために分裂してゐるところの集団である。当時、労働者が多数団結の実を示した場合があるのは、それはまだ彼ら自身が結合したのではなく、ブルジョアジーの結合した結果である。ブルジョアジーとしては、自分の政治上の目的を達するために、全プロレタリアートを動かす必要があり、そして、一時はそれをなしうるのである。故にこの段階にあつては、プロレタリヤは自分の敵と戦はないで、自分の敵の敵と戦ふ。すなはち専制王国の遺物、大地主、非工業的のブルジョア、小ブルジョアなどと戦ふ。かくて歴史的運動の全部はブルジョアの手に集中され、それによつて獲得されるすべての勝利は、ブルジョアの勝利である。

 しかるに産業の発達とともに、プロレタリヤはその数を増加したばかりでなく、ますます大なる集団に押し堅められ、従つてその力が増大し、また彼らがその力を感知する。機械が次第々々に労働の差異を消し、殆んど到る処において、賃銀を同一の低い水準に引下げると同時に、プロレタリヤの利害、プロレタリヤの内部における生活状態が次第々々に平均して来る。ブルジョア同志の間におけるますます激烈な競争、およびそれから生ずる商業恐慌が、いよいよ労働者の賃銀を動揺させる。不可避の勢ひをもつてますます急激に発達する機械の改善が、いよいよ労働者の全生活を不安にする。個々の労働者と個々の資本家との衝突が、次第々々に両階級の衝突たる性質を余計に帯びて来る。そこで労働者は資本家に対して組合をつくりはじめる。彼らは労働賃銀を維持するために結合する。彼らは臨機の反抗運動のために、かねてその資力を養ふべく、永続的の団体を組織する。それがをりをりは破裂して一揆となる。

 労働者はをりをり勝利を得るが、それはただ一時的に過ぎない。彼らの鬪争の真の効力は、その直接の結果にあるのではなく、ただ労働者の団結が絶えず拡大するところにある。労働者の団結は、大産業がつくり出した交通機関の発達によつて助長される。交通機関の発達は、諸地方の労働者をして互ひに聯絡をとらしめる。ただこの聯絡のおかげで、到る処に同性質を有する無数の地方的鬪争が、一個の全国的鬪争、一個の階級鬪争に集中される。そして階級鬪争は必ず政治的鬪争である。もしこれが、あの道路の不便な中世の町人であつたなら、かういふ団結のためには数百年を要したであらうに、鉄道のある近代のプロレタリヤは、僅々数年の間にそれを成就したのである。

 プロレタリアートのかういふ階級的組織、従つてまたその政党組織は、また絶えず労働者自身の間の競争のために破壊される。けれども、それは必ずまた勃興して、一そう強く、一そう堅く、一そう有力となる。彼らはブルジョアジーの間における党争を利用して、労働者の特殊の利益に対する立法的認識を強要する。イギリスにおける十時間労働法のごときがすなはちそれである。

 旧社会における一般の諸衝突は、また種々の点においてプロレタリヤの発達を促す。ブルジョアジーは不断の鬪争の中に立つてゐる。初めは貴族と戦ひ、後には産業の進歩と利害を異にする、ブルジョアジー自身の他の部分と戦ひ、また常にあらゆる外国のブルジョアジーと戦ふ。かういふいろいろの鬪争において、ブルジョアジーはプロレタリヤに訴へ、その助力を借る必要があるので、従つてプロレタリヤを政治運動に引きいれねばならぬことになる。故にブルジョアは自分の教育的要素、すなはち自分と戦ふべき武器をプロレタリヤに供給することになる。

 また、前にいつたとほり、支配階級の一部分が、産業発達のために、挙つてプロレタリヤに落ち込む。或ひは少くとも、その生活条件を脅威される。彼らがまた多量の教育的要素をプロレタリヤに附与する。

 最後に、この階級鬪争がいよいよ決戦の時期に近づく時には、支配階級の内部(すなはち旧社会全体の内部)における分解の過程が、すこぶる激烈大胆な性質を帯び、支配階級の一小部分は自らその所属を脱して、革命階級(すなはち将来をその手の中に握つてゐる階級)に投ずる。故に、むかし貴族の一部分がブルジョアに投じたと同じやうに、今はブルジョアの一部、殊にこの歴史的運動の全体を学理的に理解しうるに至つたところの、思想家的ブルジョアの一部が、プロレタリヤに投ずる。

 今日、ブルジョアと対立してゐるすべての階級の中で、ただプロレタリヤのみが真実の革命階級である。他の諸階級は大産業のために衰頽し、滅亡するものであるが、プロレタリヤはすなはち大産業に特有な産物である。

 中産階級の下層たる、小製造家、小商人、職人、農夫等もまたみなブルジョアジーと戦ふ。けれどもそれは、中産階級としての滅亡を免れんがために戦ふのである。故に彼らは革命的でなく、保守的である。いなむしろ彼らは反動的である。彼らは歴史の車輪を後ろにまはさうとするものである。もし彼らが革命的であるとすれば、それは彼らがプロレタリヤに落ちこみかけてゐることを悟つたからである。彼らは現在の地位を防衛するのではなく、将来の利益を防衛するのである。すなはち彼らはプロレタリヤの地位に立つために、自分の特殊な地位を棄てるのである。

 ルンペンプロレタリヤ、すなはち旧社会の最下層にある、腐敗堕落した貧民もまた、場合によつてプロレタリヤの革命運動に誘ひ込まれるだらう。けれども彼らの生活状態から見ると、彼らはむしろ喜んで反動的陰謀のために買収されるだらう。

 旧社会の生活条件は、今は既にプロレタリヤの生活条件の中に滅却されてゐる。プロレタリヤは無財産である。彼らがその妻子に対する関係は、もはやブルジョアの家族関係と少しの共通点をももつてゐない。近世的工業労働、資本の下における近世的屈従は、イギリスはフランスに同じく、アメリカはドイツに同じく、すべてプロレタリヤからその国民的特徴を剥ぎ去つてゐる。法律、道徳、宗教、彼らにとつてはみな悉くブルジョア的偏見であつて、その背後には必ず、それだけのブルジョア的利益が隠されてゐるのである。

 従来、政権を握つたすべての階級は、全社会を自分らの収益条件に屈従させて、そして自分らの既得の地位を確保しようとした。しかるにプロレタリヤは、従来の自分の所得方法(従つてまた、従来一般の所得方法)を廃止して、初めて社会的生産力を握ることが出来る。プロレタリヤは自分のものとして保護すべきものが一つもない。彼らはただ、あらゆる従来の、私有的保証、私有的保護を破壊すれば足りるのである。

 従来のすべての運動は、みな少数者の運動、もしくは少数者の利益のためにする運動であつた。プロレタリヤの運動は、大多数の利益のためにする、その大多数の独立の運動である。しかるに、現社会の最下層たるこのプロレタリヤは、外面の正式社会を構成してゐるところの、上層全部を空中に吹き飛ばさなくては、自立し自営することが出来ないのである。

 プロレタリアートブルジョアジーに対するこの鬪争は、形式上(実質上はさうでないが)、最初は一国的である。各国のプロレタリアートは、必ずまづ、自国のブルジョアジーを処分せねばならぬのである。

 我々は今、プロレタリアートの発達について、その最も一般的なる諸段階を叙述し、現社会の内部における、大なり小なり覆面された内乱から、遂にそれが爆破して公然の革命となり、ブルジョアジーを顛覆してプロレタリアートの支配を樹立するところまで到達した。

 従来のすべての社会は、前に述べたとほり、圧伏階級と被圧伏階級との敵対の上に立つてゐた。けれども一階級を圧伏するためには、その階級が少くとも奴隷的存在を続けうるだけの、ある生活条件が保証されてあらねばならぬ。農奴農奴制の下において、その村邑の公民に立身することが出来たし、小町人はまた、封建的専制政治の抑圧のもとにあつて、ブルジョアになることが出来た。しかるに近世の労働者は、産業の進歩とともに向上するのではなく、却つて自分の階級の生活条件より以下にだんだん深く沈んで行くのである。すなはち労働者は貧民となり、貧民は人口と富との増加に比し、一そう急速に発達する。そこでブルジョアジーがなほ永く社会の支配階級となること、そしてその階級の生活条件を定法として社会に強ひることの不適当が明瞭となる。彼らが支配者たるに不適当な所以は、すなはちその奴隷制の内部において、奴隷に生存そのものをすら確保することが出来ないといふ点にある。また彼らが奴隷から養はれるのでなく、却つて奴隷を養はねばならぬほどの境遇に、奴隷を沈ませるのやむなきに至つた点にある。社会はもはやブルジョアジーの下に生活することが出来ない。換言すれば、ブルジョアジーの生活はもはや社会と両立しえないのである。

 ブルジョア階級の存在、およびその支配権の根本条件は、私人の手の中に富を集積することである、資本の形成および増大である。そして資本の条件は賃銀労働である。そして賃銀労働は全く労働者間の競争の上に立つてゐる。しかるにブルジョアジーが無意識に、そして無抵抗に促進した産業の進歩は、競争による労働者の孤立を改めて、協力による彼らの革命的結合をつくる。だから大産業の発達は、ブルジョアジーが生産をなし、産出物を領有するその基礎自体を、ブルジョアジーの足の下から引き抜くものである。故にブルジョアジーが産出するものは、第一に自分の墓堀り人である。ブルジョアの没落と、プロレタリヤの勝利とは、共に不可避である。

 


第二章 プロレタリヤと共産主義者

 


 共産主義者は一般のプロレタリヤに対して、どんな関係にあるか。

 共産主義者は労働者の諸党派に反対して、別個の一党派をつくるものではない。

 彼らは全プロレタリヤ階級の利害から分離した、何らの利害をもつものではない。

 彼らは特殊の原則を定めて、プロレタリヤの運動をその型に入れようとするものではない。

 共産主義者が、プロレタリヤの他の諸党派と異なるところは、ただこれである。すなはち、一面においては、プロレタリヤの種々なる一国的鬪争に対して、その国籍から独立した、全プロレタリヤ階級の共通利益を指示し、標榜する。そして他の一面においては、プロレタリヤとブルジョアジーとの鬪争が経過する種々なる発展段階に対して、常に運動全体の利益を代表する。

 故に共産主義者は、一面、実際上には、全世界の労働諸党派の中において、最も大胆な、いつでも全党を推進させる一部分である。そして一面、理論上には、プロレタリヤ運動の条件、進路、およびその総結末に関し、プロレタリヤの他の大部分よりも、一そう明晰な洞察をもつてゐるものである。

 共産主義者の直接の目的は、他のすべてのプロレタリヤ諸党派のそれと同一である。すなはちプロレタリヤを一階級に結成すること、ブルジョアの支配権を顛覆すること、プロレタリヤの手に政権を握ること。

 共産主義者の理論的根拠は、決して某々社会改良家たちの発明し、もしくは発見した、理想や原理の上に存するものではない。

 彼らはただ、現存せる階級鬪争の実際的諸関係、すなはち我々の眼前に起りつつある歴史的運動の、一般的表現に過ぎない。従来の財産関係を廃絶することは、必ずしも共産主義者の特徴ではない。

 あらゆる過去の財産関係は、絶えず歴史的の転換を受け、また絶えず歴史的の変化を蒙つてゐる。

 例へばフランス革命は、ブルジョア的財産の便宜のために、封建的財産を廃絶した。

 故に共産主義の特徴とするところは、一般財産の廃絶ではなく、ただブルジョア財産の廃絶である。しかし近世ブルジョア私有財産は、階級反目の上に立ち、少数者による多数者の搾取の上に立つところの、生産および生産物領有方法の、最後にしてかつ最も完全なる表現である。

 この意味において、共産主義者はその理論を一言に約することが出来る。いはく、私有財産の廃絶。

 世人は我々共産主義者を非難していふ。共産主義者は、人が自己の労働によつて獲得したところの個人的財産を廃絶しようとする。すなはちあらゆる個人的の自由、活動、および独立の根底たる財産を廃絶しようとする、と。

 自己の労働によつて、自己の獲得した、自己の儲けだした財産といふのか。それはブルジョア財産の以前にあつた、職人の財産、農夫の財産のことをいふのか、それならば我々が廃絶するには及ばない。産業の発達が既にそれを廃絶し、なほ日々廃絶しつつある。

 それとも彼らは、近世のブルジョア私有財産のことをいふのか。

 しかし、賃銀労働(すなはちプロレタリヤの労働)は労働者のために財産をつくるのか。決してつくらない。それはただ資本をつくる。資本は賃銀労働を搾取する財産である。そしてそれが更に賃銀労働をつくり、更にそれを搾取するといふ条件の下においてのみ、増大しうるところの財産である。現今の形態における財産は、資本と賃銀労働との対立の中に生存してゐる。我々をしてこの対立の両面を検せしめよ。

 資本家たることは、生産界において、単純なる個人的地位をもつばかりでなく、また一の社会的地位をもつことである。資本は協力的産物である。多数部員の共同作業によつてのみ、いな、それを究極すれば、社会全員の共同作業によつてのみ働かされうるものである。

 故に資本は決して個人的の力でなく、一つの社会力である。

 故に資本が共有財産(すなはち社会全員の財産)に変更される場合、それは個人的財産が社会的財産に変更されるのではない。ただその財産の社会的特質が変更されるのである。すなはち財産の階級的性質が失はれるのである。

 次に賃銀労働を検せしめよ。

 賃銀労働の平均価格は、労働賃銀の最低である。すなはち、労働者が労働者としての生命を保つに必要なだけの生活資料の額である。故に賃銀労働者が自分の労働によつて獲得するところは、ただその赤貧の生活を再製するに足るだけのものである。我々は決して、この直接な生命の再製のためにする、労働産物の個人的所得を廃絶しようとするのではない。すなはち他の労働を支配すべき何らの余剰を生じないところの、この所得を廃絶しようとするのではない。我々はただこの所得の悲惨な性質、すなはち労働者が資本を増大するためにのみ生活し、支配階級の利益がそれを要求する間だけ生活しうるといふ、その悲惨な性質をなくしようとするのである。

 ブルジョアの社会にあつては、生きた労働者は、ただ、集積された労働を増大する一つの手段になる。共産主義の社会にあつては、集積された労働が、ただ労働者の生活を拡大し、豊富にし、増進させる手段になる。

 故にブルジョアの社会にあつては、過去が現在を支配し、共産主義の社会にあつては、現在が過去を支配する。ブルジョアの社会にあつては、資本は独立的であり、個性的であるのに、生きた人間は従属的であり、非個性的である。

 しかるにブルジョアジーは、かういふ諸関係の廃絶を目して、個性の廃絶! 自由の廃絶! といふのである。しかし無理もない。これはいかにも、ブルジョアの個性、ブルジョアの独立、ブルジョアの自由の廃絶なのである。

 現在のブルジョア的生産関係の下にあつては、自由とはただ自由貿易を意味し、自由売買を意味してゐる。

 しかし売買といふことがなくなれば、自由売買もなくなつてしまふ。一体、ブルジョアの自由売買といふこと、およびその他一切の自由よばはりは、中世時代の制限された売買、束縛された商人に対してこそ意義もあるが、共産主義が主張する売買の廃絶、ブルジョア的生産関係の廃絶、およびブルジョアジーそのものの廃絶に対しては、何らの意義もないものである。

 諸君は、我々が私有財産を廃絶しようといふのに驚いてゐる。しかし諸君のこの現在の社会において、人口の十分の九は既に私有財産を失つてゐるではないか。そしてそれが(少数者のために)存在してゐるのは、実にそれがその十分の九のために存在してゐないからではないか。故に諸君が我々を非難する、その財産の廃絶といふのは、社会全員の大々多数の無財産を必要条件とする、その財産の廃絶なのである。

 要するに諸君は、我々が諸君の財産を廃絶しようとするのを非難するのである。いかにも我々はそれを欲するのである。

 諸君は、労働がもはや資本に変ぜず、貨幣に変ぜず、地代に変ぜず、つまり独占的社会力に変じえないことになるその瞬間から、すなはち個人的財産がもはや、ブルジョア的財産に変形しえないことになるその瞬間から、諸君は個性が廃絶されるといふのである。

 故に諸君は白状してゐるのである。諸君のいはゆる個性とは、ブルジョア以外の、ブルジョア的財産所有者以外の、何ものをも意味してゐないのである。そして、それらの個性はもとより廃絶すべきである。

 共産主義は誰人に対しても、社会的産物を獲得する力を奪ふものではない。ただその獲得によつて、他の労働を屈服させる、その力を奪ふのである。

 ある者は反対していふ。私有財産が廃絶されるなら、それとともに一切の活動が廃絶され、従つて一般的怠惰に陥るであらう、と。

 もしさうとするなら、ブルジョア社会は疾くの昔、怠惰のために滅亡してゐるはずである。ブルジョア社会では、働く者は儲からないし、儲ける者は働かないではないか。だからこの反対論は結局、資本がなくなれば賃銀労働がなくなるといふ、分かりきつた重複語を、別の意味で使つたに過ぎない。

 物質的産物に対する、共産主義的の獲得方法および生産方法に向けられたすべての攻撃は、更に精神的産物の獲得および生産にまで延長されてゐる。階級的財産の廃絶が、ブルジョアにとつて、生産そのものの廃絶であるのと同じく、階級的文化の廃絶は、彼らにとつて一般文化の廃絶と同意義である。

 彼らがしかくその消滅を悲しんでゐる、その文化なるものは、大々多数の人にとつては、ただ機械として働くことの教育である。

 しかし諸君が、自由、文化、権利等に関する諸君のブルジョア的見解を標準として、ブルジョア財産の廃絶を律しようとする間は、論争は無益である。諸君の思想そのものは、ブルジョア的の生産関係および財産関係の産物である。それと同じく、諸君の権利もまた、諸君の階級的意志を法律としたものに過ぎない。そしてその意志の内容は、諸君の階級の物質的生活条件から生じたものに過ぎない。

 諸君の利己的謬想――すなはち諸君の生産関係および財産関係は、生産の進歩に従つて生滅する歴史的関係であるのに、それを永劫の自然法および道理法に変更させる――その諸君の利己的謬想は、すべての滅亡した過去の支配階級が、みな諸君と同じくもつてゐたものである。諸君が古代の財産に対して理解したところ、また封建的財産に対して理解したところのものを、諸君はいま、ブルジョア的財産に対しては理解しようとしないのである。

 家族制の廃絶! 共産主義者のこの不名誉な提案に対しては、最急進派の人々すらも憤激する。

 しかし、現在の家族制度、ブルジョアの家族制度はいかなる基礎の上に立つてゐるか。資本の上、私収入の上に立つてゐる。完全に発達したこの家族制度は、ただブルジョアジーの間にのみ存在してゐる。そしてプロレタリヤの強制的無家庭と、公娼制度とが、その補足物になつてゐる。

 ブルジョアの家族制は、もとよりこの補足物の消失とともに消失する。そして両者とも、資本の消失とともに消失する。

 諸君はまた、子供に対する親の搾取を廃絶するものとして、我々を攻撃するか。我々は甘んじてその罪人たることを自認する。

 しかし(と諸君はいふだらう)、家庭教育を廃して社会教育をそれに代へるのは、最も神聖なる家族関係を廃絶するものである、と。

 ところが、諸君の教育もやはり社会によつて決定されるのではないか。諸君が教育を施すその社会的諸関係によつて決定されるのではないか。学校などを通じて、直接間接に行はれる社会の干渉によつて決定されるのではないか。共産主義者は、教育に対する社会の影響を発明したのではない。彼らはただその影響の性質を変じて、教育をして支配階級の勢力から脱出させようとするのである。

 家族制度や教育のことについて、また親子の間の神聖な関係などといふことについて、ブルジョアがこんないひわけをしてゐるとき、大産業の結果として、プロレタリヤの家族関係がだんだんに破壊され、その小児たちが単純な商品と労働器械とに変形されて行くのを見ると、我々は実に嘔吐を催すの感がある。

 だつて君ら共産主義者は、婦人の共有を行はうとしてゐるのぢやないかと、全ブルジョアジーが我々に向つて合唱的に絶叫する。

 ブルジョアは自分の妻を単なる生産器具と考へてゐる。そして生産器具がみな共同に利用されると聞いたのだから、その共同利用の運命が、やはり婦人の上にも来るものとしか考へられないのは、無理もない話である。

 共産主義者の目的とするところは、さういふ単なる生産器具としての婦人の地位を、廃絶しようとするにあるのだなどとは、彼らが思ひもそめないことである。

 しかしなんにしろ、わがブルジョア諸君が、そのいはゆる共産主義者の婦人共有制に対して、道徳的義憤を発したことほど笑ふべきものはない。共産主義者は婦人共有制を創設する必要がない。それは疾くの昔から存在してゐるではないか。

 わがブルジョア諸君は、公娼のことはしばらくいはぬとしても、プロレタリヤの妻や娘を勝手にして、それでもなほ満足が出来ないで、更に自分らの妻を互ひに誘惑することを無上の快楽としてゐるではないか。

 ブルジョアの結婚は、その実質上、まさに妻女共有制である。さすれば、彼らが共産主義者に対して加へうる攻撃は、偽善的に隠蔽されてゐる婦人共有制の代りに、公然たる正式の婦人共有制を設けようとするからいけない、といふのがせいぜいである。なほいふまでもないことだが、現今の生産関係を廃絶すれば、それとともに、その関係から生じた婦人共有制、すなはち公私の売淫制度が、みな消滅するのである。

 共産主義者は更に、祖国を廃絶し、国民性を廃するものとして攻撃されてゐる。

 労働者は祖国をもつてゐない。その人のもつてゐないものをその人から取ることは出来ない。プロレタリヤはまづ政権を握らねばならぬ、国民的の階級たる地位に登らねばならぬ、自己を国民として結成せねばならぬ。であるから、その意味において、ブルジョアジーの意味とは全く違ふが、やはり国民的である。

 国家間の差別、および人種間の反目は、ブルジョアジーの発達のために、通商の自由のために、世界市場のために、生産方式およびそれに相応する生活関係の同一化のために、もはやだんだん消滅しつつある。

 プロレタリヤの政治は一そう多くそれを消滅させるであらう。少くとも文明諸国間だけの団結した行動が、プロレタリヤ解放の最大条件の一つである。

 一個人が他個人を搾取することが止めば、それと同じ比例において、一国民が他国民を搾取することも止むであらう。一国の内部における階級対立がなくなれば、国と国との間の敵視もまたなくなるであらう。

 宗教的、哲学的、および一般理想的見地からの共産主義に対する攻撃は、大して本気に論究するだけの価値がない。

 人間の生活上の諸関係とともに、その社会的諸関係とともに、その社会的生活とともに、その思想、観念、および見解、一言にすれば、その自覚もまた変化するといふことを理解するのに、そんなに深い洞察力がいるだらうか。

 古来、思想の歴史が示してゐるところのものは、精神的生産が物質的生産とともに変質するといふことよりほかにないではないか。ある時代を支配する思想は、いつでもただその支配階級の思想であつた。

 ある思想が全社会を革命したといふことがある。それはただ、旧社会の内部に、新社会の要素が発育したといふ事実、古い生活関係の解体とともに、古い思想の解体が同一の歩調をとつたといふ事実を指すに過ぎない。

 上古の世界が滅亡に瀕したとき、古い諸宗教はみな、キリスト教に征服された。十八世紀に、キリスト教の思想が啓蒙思想(合理思想)に圧せられたとき、封建社会は当時の革命的ブルジョアジーと致命戦をやつてゐた。良心の自由、および信仰の自由といふ思想は、ただ自由競争の優勝を知識界について言明したに過ぎない。

『けれども』と誰かがいふだらう。『宗教的、道徳的、哲学的、政治的、法律的の諸思想は、いかにも歴史発展の道程において変化したに相違ないが、宗教、道徳、哲学、政治、法律は、常にその変化の間に厳存した。』

『それにまた、自由、正義などといふ、あらゆる社会状態に共通する、永劫の真理がある。しかるに共産主義は、その永劫の真理を廃絶する。宗教、道徳を改新するのではなく、全くそれを廃絶する。だから共産主義は、あらゆる過去の歴史発展と矛盾する。』

 この難詰は一体どういふことに帰着するか。あらゆる過去の社会の歴史は、階級対立の中に発展してゐる。そしてその階級対立は、時代々々に従つてその形態を異にしてゐる。

 しかしその形態はいかにもあれ、社会の一部分が他部分を搾取するといふ一点は、すべての過去の諸時代に共通な事実である。従つて、すべての時代の社会的自覚(社会意識)が、その表現の多種多様なるにかかはらず、ある共通の形式をもつて働くのは、当り前のことである。そしてその自覚形式は、階級対立の全き消滅とともに、初めて完全に解体すべきものである。

 共産主義の革命は、伝来の財産関係に対する根本的の分離である。従つてその発展の過程において、伝来の思想と根本的に分離するのは、当り前である。

 しかし、共産主義に対するブルジョアの非難は、もうこれで棄ておくことにしよう。

 我々は既に以上において、労働者革命の第一歩が、プロレタリヤを支配階級の地位に上げることにあるを見た。すなはち、デモクラシーの戦勝にあるを見た。

 プロレタリヤはその政治的支配権を利用して、漸々にブルジョアから一切の資本を捩ぢ取るであらう。一切の生産機関を国家の手に、すなはち支配階級として結成されたプロレタリヤの手に、集中するであらう。そして生産力の総量を出来うるかぎり急速に増大するであらう。

 もちろん、最初は、財産権に対する、およびブルジョア的生産関係に対する、圧制的侵害によらなければ、右のことは行はれえないであらう。従つてその方策は、経済上、不徹底であり薄弱であるかに見える。しかしそれが運動の進行につれて、自然に元の埒外に跳り出でる。そしてそれが生産方法の全体を変革する手段として、避くべからざる方策となる。

 もつともこの方策は、それぞれの国情に従つて、それぞれの差異を呈するであらう。

 しかし最も進歩した諸国にあつては、左の諸方策が大抵一般に行使されうるであらう。

一、土地所有権の剥奪、および地代を国家の経費に充てること。

二、強度の累進所得税

三、相続権の廃止。

四、すべての移出民および反逆者の財産の没収。

五、国家の資本をもつて全然独占的なる国立銀行をつくり、信用機関を国家の手に集中すること。

六、交通および運輸機関を国家の手に集中すること。

七、国有工場の増大、国有生産機関の増大、共同的設計による土地の開墾および改善。

八、すべての人に対して平等の労働義務を課すること。産業軍隊を編成すること。(殊に農業に対して)。

九、農業と工業との経営を結合すること。都会と地方との区別を漸々に廃すること。

十、すべての児童の公共無料教育。現今の形式における児童の工場労働の廃止。工業生産と教育との結合等。

 かくて、発達の進行につれ、階級的差別が消滅し、すべての生産が、総個人の協力(全国民の大組合)の手に集中されるならば、そのとき公的権力はその政治的性質を失ふ。元来、政治的権力なるものは、一階級が他階級を圧伏するための組織的強力である。プロレタリヤはブルジョアジーに対する戦鬪の必要上、自ら一階級を形成し、革命によつて自ら支配階級となり、そして支配階級として強制的に古い生産関係を廃絶するのであるが、その生産関係の廃絶とともに、階級対立の存在条件を廃絶し、階級全体を廃絶し、従つてまた、自らの階級的支配権をも廃絶するのである。

 かくていよいよ、古いブルジョア社会(およびその諸階級と階級対立と)の代りに、各人の自由な発達が衆人の自由な発達の条件となるやうな、協力社会が生ずるのである。

 


第三章 社会主義および共産主義文書

 


一 反動社会主義

 


A 封建的社会主義

 フランスおよびイギリスの貴族は、その歴史的地位からして、近世ブルジョア社会に反対する小冊子を書くべき任務を帯びてゐた。一八三〇年七月のフランス革命において、またイギリスの改革運動において、彼らは更にこの厭ふべき成上り者のために組み敷かれた。本気な政治的鬪争はもはや問題にならなくなつた。彼らに残されたものは、ただ文筆上の争ひであつた。しかし、その文筆の方面でも、ブルボン王朝復活時代(一八一四年から一八三〇年まで)の古い言葉ではとほらなくなつた。彼ら貴族が世間の同情を喚び起すためには、自分の利害関係を隠蔽して、ただ搾取されてゐる労働階級の利害関係においてのみ、ブルジョアジーに対する訴状をつくらねばならなかつた。かくて彼らは、新しい支配者を讒謗する歌を歌ひ、また多少とも不祥らしい予言をその耳に囁いて、纔かに自ら腹いせをしてゐたのである。

 封建的社会主義はかやうにして起つた。半ばは哀歌、半ばは皮肉、半ばは過去の余音、半ばは将来の脅威、そして時には深酷痛烈な批判をもつて、ブルジョアジーの腸を刺すことがあつても、近世史の進路を理解する能力が全く欠けてゐたので、その効果は常にただ滑稽であつた。

 彼らは民衆を自分らのうしろに集めるために、プロレタリヤの救恤袋を旗印として振りかざした。けれども民衆は、しばしばそのうしろに集まつたとき、彼らの背中に昔の封建的紋所を見つけだして、軽蔑の高笑ひを残して逃げ去つた。

 フランス勤王派の一部と、青年イングランド党とは、この芝居の好適例である。

 封建主義者は、自分たちの搾取がブルジョアの搾取とその選を異にしてゐるといふが、それは彼らが今日とはまるで違つた、そして今日では時代おくれになつてゐる、事情と条件との下に、搾取をやつてゐたといふことを忘れてゐるのである。彼らの支配下には、近世のプロレタリヤは存在してゐなかつたといふが、それはやはり、近代のブルジョアジーが彼らの社会組織の必然の子孫だといふことを忘れてゐるのである。

 それに彼らは、自分たちの批評の反動的性質を殆んど隠してゐない。彼らのブルジョアジーに対する主なる詰責は、ブルジョアジー支配下には、社会の旧組織を全く引つくり返さうとする一階級が、発生しかけてゐるといふに帰着する。

 彼らがブルジョアジーを責めるのは、それが一般のプロレタリヤをつくりだしたといふことよりも、むしろ革命的プロレタリヤをつくり出したといふことにある。

 故に彼らは、政治上の実際においては、労働階級に対する圧迫的立法に加担し、また日常の生活においては、そのあらゆる立派な口上にも似ず、黄金の林檎を拾ひ集め、真理や正義や名誉を、羊毛や砂糖やジャガ芋酒と交易することを辞しなかつた。

〔英訳註〕この林檎のことは、主としてドイツを指したのである。ドイツでは、地方の貴族や郷士が、その領地の大部分を番頭役の者に耕作させて、自らその利益を収め、更にまた大規模の砂糖製造をやり、ジャガ芋酒の醸造をやつてゐた。イギリスの富裕な貴族は、まだそこまでのことはやらなかつたが、それでも、怪しげな株式会社の空株劵に名義を貸して地代の減少の埋め合せをすることを知つてゐた。

 


 僧侶がいつでも、封建貴族と手を携へてゐたと同じく、僧侶的社会主義がまた、いつでも封建的社会主義に伴つてゐた。

 キリスト教の禁欲主義に社会主義的色彩をつけるのは、なによりも容易なことである。キリスト教私有財産に対し、結婚に対し、国家に対して、熱心に反対したではないか。キリスト教はそれらの代りに、慈善と乞食と、独身主義と禁欲主義と、僧院生活と教会とを説教したではないか。キリスト教社会主義は貴族の憤怒を浄めるために、僧侶が注ぐ聖水である。

 


B 小ブルジョア社会主義

 ブルジョアジーのために亡ぼされた者、近世のブルジョア社会の中にその生活条件を萎微凋落させられた者は、封建貴族階級ばかりではなかつた。中世の特許市民と小農階級とは近世ブルジョアジーの先駆であつたが、工商業の発達の遅れた国々では、これらの階級がやはりまだ、新興のブルジョアジーと並んで生きながらへてゐる。

 近世的文明の発達してゐる国々では、一つの新しい小ブルジョア階級が形成されてゐる。それは、プロレタリヤ階級とブルジョア階級との間に彷徨してゐるもので、ブルジョア社会の補足的部分として、常に新しく発生してゐる。しかしその組成員たる個人は、絶えず競争のためにプロレタリヤに突き落され、しかもそれが大産業の発達につれ、近世社会の独立分子としては全く消滅に帰し、その代りに商工農業における労働監督者、および番頭支配人を生ずる時節が近づきつつある。

 フランスのやうな、農民階級が人口の半ば以上を占めてゐる国々では、プロレタリヤに味方して、ブルジョアジーに反対する文人らが、小ブルジョア的および小農的の標準でブルジョアジーを批評し、またその小ブルジョア的立場から労働党に加担するのは、まことに自然のことであつた。かくて小ブルジョア社会主義が起つた。シスモンヂーはフランスばかりでなく、イギリスにおいても、この学派の巨頭であつた。

 この社会主義は最も鋭利に、近世の生産関係における矛盾を解剖した。経済学者の偽善虚飾を暴露した。また最も有力に、機械と分業との破壊作用、資本と土地との集中、生産過剰、恐慌、小資本家と小農との必然的滅亡、プロレタリヤの悲惨、生産界の無政府状態、富の分配の驚くべき不権衡、諸国民間における必死の産業戦争、旧習慣、旧家族関係、旧国民性の解体を論証した。

 しかしこの社会主義は、その積極の目的においては、昔の生産交換方法とともに、昔の財産関係および昔の社会を復興しようとするか、さもなくば、近世の生産交換方法を、旧財産関係(近世の生産交換方法によつて刎ねとばされたところの、また刎ねとばされねばならなかつたところの、その旧財産関係)の外殻の中に、無理に再び押しこまうとするのであつた。いづれにしても、それは反動的であり、また空想的であつた。

 製造工業においては座の制度(ギルドの自治制)、農村においては族長制度、それらが彼らの結論であつた。

 この学派は、結局、あらゆる自騙陶酔が、曲げがたき歴史的事実の前に霧消して、あはれ意気地なく終焉したのである。

 


C ドイツ社会主義または『真正』社会主義

 フランスの社会主義的および共産主義的文書は、支配階級たるブルジョアジーの圧迫の下に起り、その支配権に対する戦鬪の文学的表現をなしてゐたのであるが、その文書がドイツに輸入されたのは、ちやうどドイツのブルジョアジーが、封建的専制政治に対して戦鬪を開始した時であつた。

 ドイツの哲学者、自称哲学者、および文芸家は熱心にこの文書を耽読したが、ただ彼らは、その文書がフランスからドイツに移植された時、フランスの社会関係がそれとともに移植されなかつたといふことを忘れてゐた。そこでこのフランスの文書は、ドイツの社会関係に対して、全くその直接実際的の意義を失ひ、ただ単純な文学的の姿を示してゐた。従つてそれは、人間性の実現に関するのんきな学究的思弁となるよりほかはなかつた。かくて十八世紀のドイツの学者にとつては、フランス第一革命の要求は、『実践理性』の一般的要求といふだけの意義をもつたもので、革命的フランス・ブルジョアジーの意志表現も、彼らの眼中にはただ純粋の意志、正当の意志、真の人間の意志の法則としてのみ映じたのである。

 そこでドイツの学者たちの仕事はただ、新しいフランス思想を、自分らの古い哲学的良心と調和させるか、或ひはむしろ、自分らの哲学的立場からフランス思想を取りいれようといふのであつた。

 この結合はちやうど、翻訳によつて外国語を取りいれるのと、同じやり方で行はれた。

 昔の僧侶どもが、古代異教国の典籍によつて、カトリックの諸聖僧の愚伝をつくつたことは、人のよく知るところである。ドイツの学者は、俗界のフランス文書に対して、まさにその反対をやつたのである。彼らはフランスの原書に基づいて、自分らの哲学的駄弁を書いた。例へば、貨幣の作用に関するフランス批評に基づいて『人間性の離反』を書き、ブルジョア国家に関するフランス批評に基づいて、『絶対普遍政治の廃止』を書いたりした。

 かういふ哲学的用語をフランスの史的発達の上に当てはめることを、彼らは行為の哲学、真正社会主義社会主義のドイツ科学、社会主義の哲学的基礎などと命名した。

 フランスの社会主義文書および共産主義文書は、かやうにして明らかに去勢された。そしてそれらの文書がドイツ人の手の中で、一階級の他階級に対する鬪争の意義を失つた時、ドイツ人はそれで『フランス的偏見』を去つたと思ひ、現実の要求でなく真理の要求を代表したと思ひ、プロレタリヤの利益でなく人間性(すなはち一般人間)の利益を代表したと思つてゐた。しかるにその人間とは、どの階級にも属せず、現実のものでもなく、ただ哲学的空想の雲霧の中にのみ存するものであつた。

 かやうに荘厳な児戯を試み、売薬的法螺を吹き立てたドイツ社会主義も、暫くにして漸くその衒学的な無邪気さを失つた。

 ドイツ、殊にプロシャのブルジョアジーが、封建貴族および専制王政に対する戦鬪、すなはち自由主義運動が、次第に本物になつて来た。

 これによつて、いはゆる『真正社会主義』は、多年要望してゐた好機会をつかみえて、その政治運動に社会主義的要求を対立させ、自由主義に対し、代議政体に対し、ブルジョアの自由競争に対し、ブルジョアの言論自由に対し、ブルジョアの立法に対し、ブルジョアの自由平等に対して、その伝統的咒詛を投げつけ、そして民衆に向つては、彼らがこのブルジョア運動のために、得るところは一つもなく、失ふところは一切のものであるべきことを説法した。ドイツ社会主義は、このとき、自分が受売りをしてゐるところのそのフランス批評が、近世ブルジョア社会の存在を前提とし、およびそれに随伴する物質的生活条件と、それに適応する政治組織とを前提とするものであることを、折よくも忘れてゐたのである。すなはちその前提を獲得することが、ドイツでいま漸く問題となつてゐることを忘れてゐたのである。

 故に、ドイツの専制政治およびそれに伴ふ僧官、教授、地方貴族、官僚などにとつては、この社会主義は、ブルジョアジーの来襲に対する、まことに格好の案山子であつた。

 恰かもこの時、ドイツの専制政府は労働階級の動乱に対して、鞭撻と銃丸のにがい薬を与へた後であつたので、この社会主義は実に甘い口直しであつた。

 この『真正社会主義』は、かくドイツ政府のためにブルジョアジーと戦ふ武器となつたと同時に、また直接に、一つの反動的利益(すなはち特権市民階級の反動的利益)を代表してゐた。ドイツにおいては、十六世紀以来の遺物であつて、そしてその後たえず、種々の形で復活してゐる小ブルジョア階級が、現存社会状態の特殊の基礎をつくつてゐるのであつた。

 この階級を維持することは、すなはちドイツの現存社会状態を維持する所以であつた。しかるにブルジョアジーが産業的および政治的支配権を握れば、一方には資本の集中のために、一方には革命的プロレタリヤの発生のために、この階級が確かに没落する恐れがあつた。そこで『真正社会主義』は、彼らにとつて一石二鳥を仆すもののごとく見えた。従つてそれが流行病のやうに蔓延した。

 更にこのドイツ社会主義は、空想の蜘蛛の網で織られ、修辞の花で縁を取られ、濃やかな感情の露に浸された、浮世ばなれのした衣の中に、その哀れげな『永久の真理』を包んだので、右の人々の間におけるこの商品の売れ行きは、いよいよ盛んなものになつた。

 かくてドイツ社会主義は、次第々々に、この特許市民階級の立派な代表者として、自己の使命を認識した。

 彼らはドイツ国民をもつて模範的国民となし、ドイツの小市民をもつて模範的人間となすことを宣言した。そしてその模範的人間の醜行に対して、その真相と正反対なる、隠微な、崇高な、社会主義的意義を附与した。要するに彼らの結論は、直接に、共産主義の『残虐な破壊性』に反対し、一切の階級鬪争に超越して不偏不党の態度を宣明するにあつた。今ドイツに行はれてゐる、いはゆる社会主義文書および共産主義文書は、ごく少数の例外はあるが、みなこの醜穢な骨抜きの著作部類に属してゐる。

〔原書註〕一八四八年の革命騒ぎは、すべてこの見苦しい傾向を掃ひ去り、その唱道者から、引続き社会主義者として立つほどの興味を奪ひ去つた。この傾向の主なる代表者であり、またその根源のタイプたる人は、カルル・グリュン氏である。

 


二 保守的社会主義またはブルジョア社会主義

 


 ブルジョアジーの一部分は、ブルジョア社会の永続を計るために、社会の病所を匡正することを希望する。

 経済学者、博愛家、人道家、労働階級の状態改善者、慈善事業者、動物虐待防止会員、禁酒会員、その他種々雑多の小改良主義者は、みなこれに属してゐる。そしてこのブルジョア社会主義が、また一個の学説につくりあげられた。

 それの一例として、プルードンの『貧困の哲学』を挙げることが出来る。

 この社会主義ブルジョアは、近世社会の生活条件を欲しながら、その必然の発生物たる鬪争と危険とを免れたいのである。彼らの欲するところは、革命的および解体的要素を引去つた現存社会である。彼らはプロレタリヤのないブルジョアジーを希望してゐる。彼らはもとより、自分の支配してゐる世界を最善の世界だとしてゐる。ブルジョア社会主義者はこのおめでたい考へを、一つの(或ひは半分の)学説につくりあげた。彼らはプロレタリヤに対し、その学説を実現して、新しいエルサレムに到達せよと勧めてゐるのだが、それは実質上、現在の社会に立ち止まりながら、その現在の社会に関する忌はしい思想を取去れと要求するものに過ぎない。

 この社会主義の、一そう非学理的な、しかし一そう実際的な第二形式は、労働階級の利益が政治的変化の中に存せず、ただ物質的生活関係、すなはち経済関係の変化の中にのみ存することを論証して、それによつて労働階級にあらゆる革命運動を嫌はせようとするのである。しかし、この社会主義がいふところの物質的生活関係の変化とは、決してブルジョア的生産関係の廃絶を意味するのではない。その関係の廃絶は、革命によつてのみなしとげられるものであるから、彼らはただ、その生産関係の地盤の上に行はれる行政上の改善を意味するのである。従つてそれはまた、資本と賃銀労働との関係に何らの変化を与へるものでなく、たかだかブルジョアジーをして、その支配費用を節減せしめ、その国家財政を単純化せしめるに過ぎない。

 故にブルジョア社会主義者は、単純な修辞的形式においてのみ、初めて自分にふさはしい表現に到達する。

 労働階級の利益のための自由貿易! 労働階級の利益のための保護貿易! 労働階級の利益のための監獄改良! これがブルジョア社会主義の、最後の言葉であり、ただ一つの真面目に考へられた言葉である。

 要するに、ブルジョア社会主義はただ、労働階級の利益のためにブルジョアブルジョアであるといふ主張に基づいてゐる。

 


三 批評的・空想的の社会主義および共産主義

 


 我々がここで述べようとするのは、あらゆる近代の大革命に際して、プロレタリヤの要求を発言した(例へば、バブーフの著書などのやうな)文書についてではない。

〔訳者註〕バブーフはフランス大革命の際、一種の共産主義を唱へた人。

 一般的動乱の時代、封建社会顛覆の時代において、プロレタリヤが直接に、自分の階級的利益を樹立しようとした第一の試みは、プロレタリヤ自身の発達が幼稚なためと、彼らを解放さすべき物質的条件の欠乏のためとによつて、必然的に失敗した。もともと彼らを解放すべき物質的条件は、ブルジョア時代の産物なのである。そこでこの最初のプロレタリヤ運動に伴つた革命的文書は、その内容からいへば必然に反動的である。すなはちその教へるところは一般的の禁欲主義であり、また素朴な平均主義である。

 真の社会主義および共産主義学説、すなはちサン・シモン、フーリエー、オーエンらの学説が、プロレタリヤとブルジョアとの鬪争がまだ十分発達しない初期の時代に現はれたことは、前に説いたとほりである。(『ブルジョアとプロレタリヤ』の章参照。)

 もつとも、これらの学説の発明者たちも、階級の対立と、ブルジョア社会そのものの中における解体的要素の作用とを看取した。ただ彼らは、プロレタリヤの方面において、何らの歴史的独立性を認めず、彼らに特殊なる何らの政治運動を認めなかつた。

 階級対立の発達は、産業の発達とその歩調を同じくするものであるから、彼らはまだ、幾許もプロレタリヤ解放の物質的条件を見出すことが出来ないで、ただ何らかの社会的の学問により、社会的の法則によつて、その条件をつくらうと試みた。

 そこで、社会的の活動の代りに、彼らの思ひつきによる個人的活動が起り、解放の歴史的条件の代りに、空想的条件が起り、プロレタリヤを一階級として、自然に、追々と団結させることの代りに、銘々のつくりあげた社会組織の考案が起つた。彼らにとつては、将来の世界歴史は、彼らの社会組織案の宣伝と実行とに帰着すべきものであつた。

 ただし彼らは、その組織案が、社会の最も痛ましい階級たる、労働階級の利益を代表することをさとつてゐた。プロレタリヤはただ、最も痛ましい階級といふ意味で彼らの目に映じてゐた。

 けれども、階級鬪争の未発達な形式と、彼ら自身の生活上の地位とのため、彼らは自然に、階級対立の上に超然たるものだと信じてゐた。彼らはすべての社会構成員のために、その最もよき地位にをる者のためにすらも、その生活状態を改善しようとした。従つて彼らは不断に、無差別に、社会全体に対し、いな、殊に支配階級に対して訴へた。人がいやしくも彼らの学説を理解する以上、最上可能の社会に対する最上可能の考案として、それを認めないはずがないといふのであつた。

 故に彼らは、すべての政治的、殊にすべての革命的行動を排斥した。彼らは平和の方法によつてその目的を達しようとした。そして小さな(自然、失敗に帰すべき)実験によつて模範を世に示し、その力によつて新しい社会的福音の道に進まうとした。

 この将来社会の空想的描写は、プロレタリヤ階級の発達がまだ極めて幼稚であり、従つて自分の地位をもただ空想的に考へる時代において、社会の一般的改造に対するその最初の予感的渇仰から生じたものである。

 しかし、この社会主義および共産主義文書は批評的要素をも含んでゐる。彼らは現社会の一切の根本を攻撃した。故に彼らは、労働者の啓蒙のために最も価値ある材料を供給した。将来の社会に対する彼らの積極的提案、例へば、都会と農村との対立の廃止、家族制の廃止、私的営利事業の廃止、賃銀労働の廃止、社会調和の宣伝、国家を変じて単純なる生産管理機関となすこと、すべてこれらの提案は、全く階級対立の消滅に帰着するものである。しかし当時にあつては、その階級対立が漸く僅かに発達しかけてゐたので、彼らはまだその初期の漠然たる、不確定の姿においてのみ、それを知つてゐたのであり、従つて右の諸提案そのものも純然たる空想的意義をもつてゐた。

 この批評的空想的社会主義および共産主義は、歴史的発展と逆行する意義を有してゐる。階級鬪争が発達し成形するに従つて、階級鬪争に対するこの空想的な超越と、この空想的な攻撃とは、一切の実際的価値、一切の学理的妥当を失ふ。そこでこの学派の創設者らは、多くの点において革命的であつたけれども、その門弟らはみな反動的分派をつくつてゐる。彼らはプロレタリヤの歴史的発展に反対して、その師の旧説を固守してゐる。従つて彼らはひつきやう、階級鬪争を鈍らし、階級対立を調停しようとする。彼らは今でもやはり、自分らの社会的ユートピアの試験的実現を夢み、個々のファランステール(1)を起すこと、『内国植民地(2)』を設けること、『小イカリヤ村(3)』をつくること、などいふ、新エルサレムの小型発行を試み、そしてそれらの空中楼閣を築くためには、ブルジョアジーの慈善心と財嚢とに哀訴せざるを得ない。かくて彼らは次第々々に、上記の反動的、もしくは保守的社会主義の範疇に陥り、ただそれと異なるところは、やや組織的の学理を衒ふことと、その社会科学の奇跡的効果に対する熱狂的迷信をもつこととである。

(1)ファランステールとは、フーリエーの考案になる社会的宮殿の名称。

(2)内国植民地とは、オーエンの共産主義的模範社会の名称。

(3)イカリヤ村とは、カベーが描き出した共産主義的理想郷の名称。

 


 故に彼らは、労働階級が一切の政治的運動をなすことに極力反対する。彼らによれば、政治運動はただ、新福音に対する盲目的不信からのみ生ずるのである。

 イギリスのオーエン派がチャーチストに反対し、フランスのフーリエー派が改良党に反対するのは、すなはちこの故である。

 


第四章 在野諸政党に対する共産党の地位

 


 既成の労働諸党派に対する共産党の関係、従つてイギリスのチャーチスト、および北アメリカの農民改革党などに対する関係は、第二章の説述で自然に明瞭となつてゐる。

 共産党は、労働階級の直接眼前の目的と利益とのために戦ふものであるが、しかしその現在の運動の中において、またその運動の将来を代表するものである。フランスにおいては、共産党社会民主党(1)と提携して、保守党および急進ブルジョア党と戦ふ。ただし、大革命から伝来した種々の謬見謬想に対しては、批評の権利を保留してゐる。

 


(1)この党派は、議会においてはルドリュ・ロランによつて、文学においてはルイ・ブランによつて、日刊新聞においてはレフォルムによつて代表され、多少社会主義の色彩を帯びた、民主党もしくは共和党の一部であつた。

 


 スヰスにおいては、彼らは急進党を助ける。ただし同党が二個の反対せる要素、すなはち一はフランス流の民主的社会主義者、一は急進的ブルジョアジーからなることを見逃してはゐない。

 ポーランドにおいては、彼らは、農業革命をもつて国民的解放の主要条件とする党派を助けてゐる。この党派は一八四六年、クラカウ一揆を起させたことがある。

 ドイツにおいては、彼らは、ブルジョアジーが革命的に行動する時、それと提携して専制王政、封建的地主、および小ブルジョアと戦ふ。

 しかし彼らは、未だかつて一刻たりとも、ブルジョアジープロレタリアートとが敵対してゐるといふ、出来うるかぎり明瞭な自覚を労働者に起させることを忘れてゐない。ブルジョアジーの支配とともに必ず採用されるはずの、その社会的および政治的条件を、ドイツの労働者が、直ちに自分の武器としてブルジョアジーに向けうるために。またドイツ反動諸階級の没落の後、直ちにブルジョアジー自身に対して戦鬪を開始するために。

 共産党は主としてドイツに向つてその注意を集中する。ドイツは今、ブルジョア革命の前夜にあり、そしてまたその革命が、ヨーロッパ文明国一般の進歩した条件の下に行はれ、なほまた、十七世紀のイギリス、十八世紀のフランスよりも、遥に高く発達したプロレタリヤを有し、従つて、ドイツのブルジョア革命は、まさにプロレタリヤ革命の直接の前幕となりうるからである。

 要するに、共産党は、到る処において、社会的および政治的の現状に反抗する各種の革命運動を擁護する。

 すべてこれらの運動において、共産党は常に財産問題を標榜してゐる。その財産問題の発達程度がどうであらうとも、彼らは常にそれを運動の根本としてゐる。

 最後に、共産党は到る処において、万国の民主的諸党派の団結と一致とのために努力する。

 共産党は、その主義政見を隠蔽することを恥とする。彼らは公然として宣言する。彼らの目的は、一切従来の社会組織を強力的に顛覆することによつてのみ達せられる。支配階級をして共産主義革命の前に戦慄せしめよ。プロレタリヤは、自分の鎖よりほかに失ふべき何ものももたない。そして彼らは、獲得すべき全世界をもつてゐる。

 万国のプロレタリヤ団結せよ!

 

以下青空文庫からの情報

底本:「共産黨宣言」彰考書院
   1945(昭和20)年12月20日初版発行
   1946(昭和21)年3月15日再版発行
   1946(昭和21)年10月25日改訂版発行
   1949(昭和24)年4月20日改訂第5版発行
※「大册」の「册」と「小冊子」の「冊」の混在は、底本通りです。
入力:山本寛 校正:石井彰文